「自由になったはずなのに、心がザワついていた」──退職後、個人事業主になった僕の話
1. 会社を辞めたら“自由人”になれた?と思った最初の2ヶ月
会社を辞めた直後の2ヶ月間、僕は“堕落”していた。
目覚ましなしで自然に起き、気が向いたら飯を食い、昼寝して、夜はチャートとにらめっこ。
FXと株のデイトレードが唯一の収入源。いわゆる“画面監禁型”の生活だ。
最初は、こう思った。
「これが、自由か……!」
会社のストレスから解放され、煩わしい人間関係もない。時間を誰にも奪われない。
まさに理想の“自由人ライフ”だった──ほんの数日までは。
2. 退職後に訪れた「誰とも話さない日々」の衝撃
退職と同時に、僕は県外へ引っ越した。
縁もゆかりもない土地で、知り合いはゼロ。孤独な一人暮らしがスタートした。
会社員だった頃は、嫌でも同僚と話す機会があった。
面倒だと思っていた雑談も、今振り返ると“人間らしさ”を保つのに必要だったのかもしれない。
でも今は、目を覚ましてから寝るまで、誰とも会話せずに一日が終わる。
ある日、ふと疑問がよぎった。
「最後に人と喋ったの、いつだっけ?」
記憶をたどると──
3日前、コンビニで弁当を買った時。
「温めますか?」と聞かれ「はい」と答えただけ。
……いや、それって“会話”って言えるのか?
急に、背筋がゾッとした。
3. 孤独は静かに精神を削っていく
社会との接点がなくなると、人間はこんなにも脆くなるのかと実感した。
チャートとにらめっこしてるだけの毎日。
値動きひとつで気分が上がったり、落ち込んだり。
勝てば一瞬だけ高揚するけど、負けた日は一日中自己否定。
気づけば、精神がすり減っていた。
「これって、本当に“自由”なのか?」
自分で選んだ道のはずなのに、心のどこかで“間違えたかもしれない”と思い始めていた。
4. デイトレ生活の限界。「やっぱり仕事しよう」と思った理由
トレード生活は、金にはなる。
運が良ければ一日で数十万円稼げる日もある。
でも、その代償はあまりにも大きい。
昼夜逆転。不規則な生活。誰とも話さない孤独。
毎日がギャンブルみたいに感情を揺さぶられる。
「やっぱり、仕事しよう」そう思った。
ただ、ひとつだけ自分に言い聞かせていた。
“あの頃の働き方には、もう戻らない”
5. やりたい仕事はない。でも「やりたくない仕事」ならわかる
自由を手に入れて、改めて気づいたことがある。
「やりたい仕事」は意外と見つからない。
でも──
「やりたくない仕事」は、いくらでも思い浮かぶ。
そこで紙に書き出してみた。
6. 僕が除外した働き方リスト(サラリーマンには戻らない)
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残業は別にいい。でも休日出勤は絶対にイヤ
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人と関わるのが面倒だから、黙々と作業できる仕事がいい
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頭を使うデスクワークは苦手。Excelで数字いじるだけとか、地獄
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正社員じゃなくてもいい。むしろ縛られないほうがいい
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今さら組織の下っ端として1からやり直すのはもうしんどい
こうやって「やりたくないこと」を整理していったら、少しずつ自分の中に“働き方の軸”が見えてきた。
7. 退職後、軽貨物ドライバーという働き方に出会ったきっかけ
当時、中国で“新型のウイルス”が出たという報道が始まっていた。
そのニュースを見て、僕はある可能性に気づいた。
「これ、世界中に広がったら、デリバリーの需要が爆発するんじゃないか?」
タイミングよく、軽貨物で配達する仕事を紹介するYouTubeチャンネルに出会った。
個人で開業して、一人で完結する仕事。しかもニーズは今後高まりそう。
**「これだ」**と思った。
8. 一人で働く。軽貨物という“孤独と自由のちょうどいい距離感”
配達の仕事なら、基本的に一人作業。
人間関係のストレスも少ないし、体も動かせる。
稼働する時間もある程度コントロールできるし、頑張った分だけ収入になる。
正直、最初は「トレードより稼げないかも…」という不安もあった。
でも、「精神的に健全な生活を送りたい」
それが今の自分にとって、最も優先すべきことだった。
9. 本当の自由とは“何もしない”ことじゃなかった
かつては「自由になりたい」と願っていた。
でも、自由とは“何もしない”ことじゃなかった。
“自分で選び、責任を持つこと”だった。
孤独に気づいた日、僕は“本当の自由”を知ったのかもしれない。
10. まとめ:自分の手で、自分の働き方をつくるということ
そして今、自分の足で仕事を選び、汗をかいて生きている。
不安もあるけど、
“自分の人生を生きている”という実感がある。
それだけで、今は十分だ。
※開業の流れや軽貨物ドライバーの収入実態は別の記事で詳しく書いていきます
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