最近、X(旧Twitter)を見ていたら、目に飛び込んできた謎ワード。
「今日は風呂キャン」
え?風呂キャンプ?温泉地でテント張って泊まる新しい趣味?──かと思いきや、全然違った。
正解は**「風呂キャンセル」。
つまり、「今日は風呂やーめた」っていう“不潔宣言”**だった。
いや、略す必要ある?って話だが、どうやらこれはZ世代、特に10代〜20代前半女子の間で、密かに“ゆる流行”してるらしい。
「風呂に入らない生活」って、マジで存在する
ある日、何気なく見てたVチューバーの切り抜き。衝撃の一言が耳に飛び込んできた。
「最近、自分のアソコが臭いんだよね〜」
「パンツ2日に1回しか替えてないし、風呂も4日に1回くらいだからかな〜」
──そりゃ臭いわ。
コメント欄は当然、軽めの炎上状態。
「いや、毎日風呂入ってくれ」
「パンツ替えるのは最低限の人間の尊厳やろ」
「頼む、他人を巻き込まないでくれ…」
しかし極めつけは、本人のこの一言だった。
「え〜お風呂って毎日入るもんなの?ライフハックじゃん!」
……いやいや、それ“裏技”じゃなくて、現代人のマナーだろ。
「風呂=毎日」は、もう古い価値観なのか?
ちょっと冷静になって考えてみよう。
日本って昔から“風呂文化”が強い国だ。
湯船に浸かって癒されたり、帰宅後にスッキリしたり、「1日風呂入らないと気持ち悪い」って人も多い。
でも、Z世代の一部では**風呂は「義務」じゃなく「選択肢」**になっている。
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髪乾かすのがめんどくさい
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外出しないし、人と会わない
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湯船に浸かる時間がもったいない
だから「今日は風呂キャンで〜」みたいなノリになる。
──うん、わかるよ、気持ちは。
でも、1日、2日、3日と入らなくなって、それが“習慣”になった時。
それはもう“自由”じゃない。“自分を諦めてる”ってことだ。
他人には清潔、自分には雑。…それでいいのか?
風呂キャン女子の多くは「人と会う日は風呂に入る」と言う。
つまり、他人の目には気を遣うけど、自分にはどうでもいい。
これ、聞こえはゆるいけど、実はかなり危ない。
だってそれって、「自分の価値を、他人以下にしてる」ってことじゃないか?
風呂に入るのは、誰かに見せるためじゃない。
自分自身に“ちゃんとしてる自分”を感じさせるための行為だ。
疲れた体がほぐれて
良い香りが心を落ち着かせて
スキンケアがちゃんと入って、
髪も肌も整ってくる
風呂ひとつで、人生のパフォーマンスは確実に上がる。
清潔感のなさは、想像以上に“人生を削る”
残念だけど、これが現実。
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清潔感がない=仕事でも信頼されない
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臭い=恋愛対象からは即リストラ
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無頓着=「この人、自己管理できないんだな」と見られる
人間は「臭い」に敏感だ。
イケメンや美女でも臭かったら終了。
「水道代が〜」「肌が〜」とか言う前に
一部の風呂キャン派はこんなことを言う。
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「水道代がもったいない」
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「肌のためには毎日洗わない方がいい」
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「昔の人は毎日入ってなかったし」
──気持ちはわかる。理屈も一応、通ってる。
でも、それって本当に**“意識的な選択”**か?
ただのズボラの言い訳じゃないか?
特に都市部で他人と接する機会があるなら、風呂をサボる=**“臭い人認定”**されるリスクが高すぎる。
そして、パンツ2日に1回とか…それはもう節約じゃない。ただの衛生崩壊だ。
風呂キャンの裏にある、心のSOS
ただし、ここで一つだけ弁護したい。
もしかしたら今、風呂すら入れないくらい疲れてる人が多いのかもしれない。
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SNS疲れ
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人間関係リセット癖
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自己肯定感の低下
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頑張っても報われない社会
そんな背景があるなら、「風呂すらめんどくさい」って気持ち、すごくよくわかる。
でもな、
そんな時こそ、風呂に入ってほしいんだ。
「何もしたくない」その中でも、
1つでも“やった自分”を感じられることが、心を救うきっかけになるから。
まとめ:風呂に入ることは、“自分を見捨てない”ってこと
本当にしんどい日や、体調が悪いときは風呂サボってもいい。
誰も責めない。
でも、「毎日のように風呂をキャンセルする」ことが習慣になったら、それは危険信号。
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肌も荒れる
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匂いも出る
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自信がなくなる
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最悪、SNSで“汚女”とネタにされる
まずは体を拭くでもいい。
デオドラントでもいい。
下着だけでも替えてくれ。
そしてどうか忘れないでほしい。
自分にかける時間は、そのまま“自分を大切にする心”に直結する。
風呂に入る。それはただのルーティンじゃない。
“私は私を大事にする”っていう、最もシンプルな意思表示だ。
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